第48回 通訳案内士インタビュー 久保史信(くぼ しのぶ)氏

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Guide Interview 第48回 通訳案内士インタビュー 久保史信(くぼ しのぶ)氏 ドイツ語通訳案内士

通訳案内士の登録者数は16,000人余りですが、実際にこの仕事に就いているのは一部です。
平成21年に示された観光庁の通訳案内士就業実態についての調査によると、通訳案内士登録者のうち、実際に通訳案内業をしている人は全体の26.4%、通訳案内業を専業としている人は全体の10.2%にすぎません。
そんな中で今回は、サラリーマンからガイドに転身し、以来30年余りガイド一筋で豊富な経験を培ってきたドイツ語通訳案内士久保史信氏にインタビューしました。
久保氏は20代だった1970年代に、大学卒業後に就職した会社を退職し、単身旧西ドイツに渡りました。
その後、別の日本企業に勤務するかたわら、1977年にドイツ語の通訳案内業資格試験に合格。この会社では駐在員として5年間オランダで勤務したものの、1983年に30代で再び退職。以来、ガイド専業となり、語学力、海外経験、スキーの腕前を活かしてインバウンドのみならずアウトバウンドでも活躍しました。2001年のテロ事件を節目に、現在はインバウンドの通訳案内士に専念されています。

 

単身西ドイツのユースホステルへ

Q1.最初の会社を退職後、旧西ドイツに行ったのはなぜですか?

大学卒業後、大手住宅メーカーの営業職をしていたのですが、営業成績が思わしくなく、辞職しました。ちょうどその頃、父の知人から西ドイツと日本の交換留学生制度を教えてもらい、1972年にドイツに渡ったのです。
現地のユースホステルで1年間働きながらドイツ語を学習し、海外生活を体験しました。

 

Q2.1970年代当時、西ドイツでの生活はいかがでしたか?

多少の苦労はありましたが、西ドイツは日本に次ぐ世界第3位の経済大国で生活水準も高く、なによりも両国とも第二次大戦では同じ敗戦国でありながら、戦後は先進工業国へと発展しました。ドイツ人は日本の技術力に敬意を持っているため、現地ではフレンドリーな扱いを受けたと感じます

ユースホステルでの仕事は皿洗い、受付など多岐にわたりましたが、オーナー家族はとても好意的に接してくれました。自分の意思を伝えられないもどかしさは間々ありましたが楽しい記憶の方が多い充実した勤務でした。オーナー家族と終始ドイツ語のみで会話しましたので、1年間で日常生活では不自由しないほど、ドイツ語が上達しました。

 

Q3.2度目の会社も辞め、通訳案内業をすることに不安はありませんでしたか?

当然ありました。その不安は自営業の今日でもあります。
ただ、冬期を除けば国内の通訳ガイドと欧州方面への海外旅行添乗員の仕事で何とか食べていけるであろうと楽観的でした。苦労はありますが、やりがいのある貴重な仕事と自負がありましたので今日に至っております。

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