第49回 通訳案内士インタビュー 海生郁子(かいお くにこ)氏

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第49回 通訳案内士インタビュー 海生郁子(かいお くにこ)氏 英語・スペイン語通訳案内士

英字新聞のコラムを執筆

Q6.アサヒ・ウィークリーのコラムは、どのような経緯で執筆することになったのですか?

広島通訳ガイド協会という非営利の団体のホームページに、箸や相撲などの日本的な事象を英語と日本語で説明するコーナーを、会員がリレー式で書いていました。それを読まれた朝日新聞の方が広島通訳ガイド協会に、アサヒ・ウィークリーに日本的な事象を紹介するコラムを載せたいというご連絡をくださったことから連載することになりました。

新聞社の方と打ち合わせる中で、コラムでは海外からのお客様の目で見た日本的事象や、お客様の声、ガイドの感想などを取り上げることに決まりました。現在、広島通訳ガイド協会のもうひとりの方と私のふたりで執筆を担当し、2012年10月から隔週で掲載されています。

注)広島通訳ガイド協会:1994年に広島で開かれたアジア大会に備え、1992年に発足した非営利ガイド団体。

 

Q7.コラムについて読者の方からはどんな反応がありますか?

面識のない方から、「この間のコラムが面白かったよ」、というお声をいただくことがあります。
お寿司屋さんで外国の方が「ハウ・マッチ?」と値段を聞いたら、はまちのお寿司が出てきたというエピソードが面白かったとおっしゃってくださった方もいました。

ガイドの仕事でご一緒する運転手さんやお土産屋さんの中にも、英語の勉強のためにアサヒ・ウィークリーを読んでいらっしゃる方がいらっしゃり、私がコラムを書いていることを知ってお声を掛けてくださいます。

 

Q8.今後ますます多くの外国人に日本を訪れてもらうには、どうしたらよいとお考えですか?

広島のガイドとして、年間約130万人が訪れる平和記念資料館の展示のしかたを考えることが大切だと思っています。
この資料館は1955年に設立されましたが、1994年のアジア大会を機に新館ができて展示も変わりました。それ以前の展示は、原爆で焼けただれた人たちがさまようところからはじまっていましたが、新館開設後は、戦争の経緯、なぜ日本の広島に原爆が投下されたのか、原爆はどのように開発されたのかといった分析的な事柄を最初に示しています。こうして核兵器の脅威を伝えた後にやけどを負った被爆者の姿に続く形になっていて、以前より見る人が受け入れやすくなっていると思います。

時代とともに平和記念資料館を訪れる人の世代も変わり、今では戦争は遠い昔のことのように感じられるようになっています。「戦争」という言葉が「第二次世界大戦」を指すことも、広島に原爆投下されたのが8月6日ということも知らない世代の人たちに興味を持ってもらい、入りやすいと感じてもらえるように、展示も変わっていく必要があると思います。

<取材後記>
終戦から70年近くが経ち人々の意識が変化していく中で、広島の通訳案内士として誠実に事実を伝えていこうとする姿勢が強く心に残った海生氏へのインタビューでした。
21世紀に入ってからも、日本では原発事故があり、世界の多くの国々では流血が続いています。平和を祈る土地広島の持つ重みを改めて感じました。

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