インタビュー

「訪れる外国人旅行者に地域をリスペクトしてもらう仕組みをつくる」 田辺市熊野ツーリズムビューロー・多田稔子会長 インタビュー

2018.10.04

印刷用ページを表示する


熊野古道のある和歌山県田辺市の外国人宿泊者数は、2011年度には1,217人だったが、2016年度には30,958人と大幅に増加している。5年間で約5倍と驚異の躍進である。この成果は、やはり田辺市熊野ツーリズムビューローのサポートがあったからこそ。その団体を率いる多田稔子会長にお話を伺った。
Part1では、この秋、第10回「観光庁長官表彰」に選ばれている田辺市熊野ツーリズムビューローの立ち上げまでの経緯や今後についてご紹介する。

 

— 田辺市熊野ツーリズムビューローの設立の経緯について教えてください。

田辺市熊野ツーリズムビューローの発足は、田辺市の合併がきっかけでした。それは、熊野古道が世界遺産登録された翌年、2005年のことです。

実は現在、和歌山県田辺市には観光協会が5つもあります。全国でも珍しいケースでしょうね。これは、2005年5月の5つの自治体による町村合併が起因していて、それぞれの団体が残ったのです。ひと口に観光協会といっても、組織ごとに活動目的も予算規模も違うため、統合することが観光振興・地域振興につながらないという判断でした。

しかしながら2004年7月に熊野古道が世界遺産登録を果たし、まさにこれからという大事なタイミングでしたから、同時に、危機感も持ちました。話し合った結果、プロモーションだけは一緒にやるべきだということになり、熊野古道全域をカバーする田辺市熊野ツーリズムビューローを立ち上げました。来訪者にとっては、どこの自治体であるかは関係なく、『熊野古道』へ観光に訪れたいだけなのです。

とはいえ、プロモーション戦略の結果、外国人旅行者数が驚異の伸びだとたびたび言われますが、もともとの最初の数字が小さいから、大きく感じるだけでしょう。プロモーションを始める前は、外国人旅行者がほとんど来ていませんでしたから。同じ和歌山県でもすでに人気の高野山と熊野古道ではニーズも微妙に違っています。

 

— 個人旅行者をターゲットにしておりますが、どういった理由でしょうか?

田辺市熊野ツーリズムビューローは、5つの観光協会を構成員に設立しました。1年間に渡って準備が練られ、熊野古道を歩いて楽しめ、世界に通用する観光資源に育てることを目標にしました。その際にターゲットをFIT(個人旅行)に絞りました。

当時、世界遺産ブームで熊野古道へも大量の観光バスが乗り付けていましたが、地元からは、これでは本当の熊野古道の良さを理解してもらえない。やがてブームが去れば、閑散となることが懸念されました。そこで、マスであること、ブームになることを目指すのではなく、個人旅行でやってきた人がじっくり楽しんでもらえる取り組みを目指したのです。

本来の熊野古道の良さは、1日、あるいは数日かけて歩き、その沿道の民宿に泊まり地元との交流ができるのが、良さの一つです。

そもそも、熊野古道は巡礼道ですので、団体向きではありません。また田辺市には大型の宿がありませんが、熊野古道を歩くのに適した民宿などの小さな宿はたくさんあります。

 

— どのようなプロモーションをされてきたのでしょうか?

田辺市から観光プロモーション全般を委託され、最初は世界遺産だから世界に発信すればいいと単純に考えました。まず、外国人を呼ぶのだから外国人目線が大事だと思い、ALTという国の事業で外国語講師として田辺市(旧本宮町)にいたことがあるカナダ人のブラッドを招聘しました。彼は熊野の良さを知っていました。

2

ブラッドの尽力でガイドブックの「ロンリープラネット」に章立てで掲載されたことは、インパクトがありましたので、彼の存在は大きいです。

受け地の整備と同時進行でプロモーションを進める必要があります。ガイドブックに掲載されてどっと来た際に、受け入れ整備が貧弱ですと、マイナスの評判になってしまうからです。日英併記看板や案内版、パンフレット等がそろい、熊野古道を歩くためのマップも充実して、外国人観光客が道に迷うことはなくなっていました。

そんな絶妙なタイミングの「ロンリープラネット」への掲載は、我々のプロモーションを大きく前進させました。

 

— 受入整備は、具体的にどのようなことをされたのでしょうか?

ブラッドが中心になって、外国人を受け入れるためのセミナーを開催しました。受け入れる側の宿の方々としては、今まで経験がないことですから、不安ばかりが先立ちます。

ワークショップを繰り返すなかで、どうやったら外国人旅行者を受け入られるかのツールづくりが大事だと気づきました。それも具体的なもので。例えば、シャンプーやリンスに英語表記を加える。もし「楓の間」という部屋があるのなら、「KAEDE」とアルファベット表記も加える。さらに指さしのチェックインのツールの作成など。

そのような『コミュニケーションツール』を準備することで、宿の方々が感じていた“英語をしゃべらなければ”といった不安がなくなってきたのです。

ただし、民宿ではクレジットカードでの支払いが難しいという決済の課題が残ってしまいました。そこで、田辺市熊野ツーリズムビューローで旅行事業を立ち上げた際に、決済を代行できる仕組みをつくりました。それにより民宿でも、事前決済ができるようになったのです。

 

— 新しく実店舗の旅行カウンターを設置されたのは、どのような理由でしょうか?

外国人旅行者が想定以上に伸び、熊野古道を楽しむツーリストのすそ野が広がっていったのは喜ばしいことです。日本を旅行中に他の外国人旅行者から熊野古道の良さを教えてもらって、じゃあ行ってみようと口コミが後押ししました。

しかし、そのことによる課題も持ち上がりました。

それは、宿の予約も取らずに熊野古道を歩こうとする外国人旅行者が増えたのです。なかには野宿をいとわない人もいますし、そうなると地元に迷惑がかかります。見知らぬ外国人が夜中に里山でウロウロされると住民は不安に感じるでしょう。そういったことを避けたかったのです。旅行者の玄関口となる旅行カウンターで、行程や宿泊場所のプランが決まった状態で熊野古道に送り出したい。

そのような背景から、実店舗となる旅行カウンターを紀伊田辺の駅前にオープンさせました。

 

— 今後の展望について教えてください。

今後は、もっと日本人にも歩いてもらいたいです。このような歩く旅は、日本人にはまだ慣れていないのでしょうが、昨年、「熊野古道女子部」が結成され、期待をしています。こちらは、首都圏の日本人女性メンバーが中心になっている団体です。熊野古道やサンティアゴ巡礼のガイド本を出された女性が発起人として進めています。

あと、もう一つは、「熊野古道プラス」という企画を目指しています。それは、歩くだけではなく、アクティビティ等を開発して、プラスして楽しんでもらいたいと考えています。少々、ルートから離れた場所でもよく、アクティビティによって1泊増える可能性があるのですから。エリア全体での盛り上がりにしたいのです。
そのために、地域の特色のある旅行商品開発をサポートするべく旅行会社が集結して、JARTAという取り組みを始めました。JARTAは…
 
→ Part2に続く

最新のインタビュー