インタビュー

元JNTO理事 安田彰氏

2008.02.13

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日本人にも納得できる⌈本物⌋をつくること

JNTO(国際観光振興機構)で理事を務める安田彰氏にインタビューをしてまいりました。
※安田氏がJNTOにお勤めになられていた頃のインタビュー記事になります。(2008.02.13)

 

Q1.安田氏が現在JNTOにおいて、どのようなことに取り組まれているかお教えください。

まずJNTOという組織についてですが、その目的は「海外における観光宣伝、外国人観光旅客に対する観光案内、その他外国人観光旅客の来訪の促進に必要な業務を効率的に行うことにより、国際観光の振興を図ること」です。

例えば海外における日本の宣伝、外国人向け観光案内所(TIC)を運営、通訳案内士の試験運営、調査を行い統計関連書籍の出版、国際会議等の誘致、など様々な取り組みを行っています。これらの多くの取り組みを13の海外オフィスと連携しながら進めています。

その中で私が主に担当しているのは事業開発部というところになります。
事業開発部とは、新規事業の開拓、JNTO賛助会員に対するサービスや情報提供、統計を出すための調査、外国人向けパンフレット等の宣伝ツール制作、そして日本国内と海外向けのWEBサイトの運営もしております。このWEBサイトは現在海外向けだけでも5000万PVあるのですが、数年後には倍の1億PVにしようと考えています。

ただし私の立場としては一つの事業部だけ見ているにはいきませんので、全体を見渡しつつ我々JNTOの存在価値を高めるためのPR活動もしています。例えば記者会見や統計発表などによるメディアでの対応や、業界紙におけるインバウンドツーリズム関連のコラム掲載などもしております。
このように事業開発部を主として、PR活動も含んだ分野を担当しています。

 

Q2.安田氏がJNTO理事に至るまでの過去の経歴を教えてください。

もともと私は大学時代ロシア語を勉強していたのですが、海外志向が強く、海外旅行を重ねてみたいと思っていたこともあり、現JTB(当時 株式会社日本交通公社)に昭和44年(1969年)に入社いたしました。入社後はソ連(ロシア)船を利用したモスクワ経由欧州行きの旅行販売で大きな成果をあげ、 30歳くらいまでは海外旅行の仕事を経験しました。そしてそのあとJTBの労働組合本部の役員を4年間務めましたが、このときに体験したことはとても勉強になりました。その後国内旅行の仕事に移り、北海道や沖縄などのパックツアーの商品づくりに努めました。 そして日本橋支店の業務課長など、いくつか支店の課長を勤めあげたあと、首都圏の支店を統括する東京営業本部の海外旅行課長、本社の経営企画課長をそれぞれ経験しました。その後すぐにアメリカへの転勤があり、Japan Travel Bureau International Inc.という現地法人で、アメリカに来る日本人旅行者の受け入れ、管理業務を行いました。その後はその会社の持ち株会社であるJTB Americas, Ltd.の副社長をし、計6年間アメリカで過ごしました。

日本へ戻った後は、それまでとは分野の違う人事部長に任命されました。2年間経験したあと、今度はIT関連の部署にて再び2年間従事しました。この時期「日本交通公社」から「JTB」に社名が変更になりました。その後、海外旅行関連の役員を担当し、このときJNTOと縁があり非常勤というかたちで監事をさせていただきました。そのあと引き続き財団法人日本交通公社の常務理事を務めました。この財団はJTB90年の歴史の中ではその前身組織であり、また1964年に株式会社と分離してからはずっと統計調査分野の研究をしてきたツーリズムのシンクタンクで、JTBの筆頭株主でもある組織です。

その後再びJNTOと縁があり、今度は常勤で勤めさせていただくことになりました。それから現在まででほぼ4年経ちましたが、非常勤からの時代を含めるとJNTOには6年間勤めたことになります。

 

Q3.そういったキャリア遍歴の中で持ち続けた価値観やテーマは何でしょうか?

その遍歴のなかで大きな影響をうけた経験がいくつかあります。 一つは労働組合の役員を30歳前に経験できたことです。というのは、労働組合というのは経営者側に対し、働く側はこうあるべき、とものをいう立場ですから、経営的な視点というものを働く側の立場からいつも考えなければいけない。この経験が非常に役に立ちました。30歳そこそこで会社の経営に関する方向性を勉強し、労働者の代表として経営陣に対し発言をするという経験ができました。ここで物事を大きく捉えるという訓練を積むことができたと思います。

二つ目はニューヨークにいたときに湾岸戦争が起こったことです。そのときJapan Travel Bureau International Inc.という会社に勤めており、当時400人の従業員が働いていました。しかし戦争の影響で日本人の観光客がアメリカにまったく来なくなってしまいました。窮地に追い込まれた末、弁護士や人事の専門家などに相談し、従業員100人をリストラしなければならない状況になりました。リストラの手法としては、ひとつには新しく入った人から順に辞めてもらうもの、あるいは成績が悪い人から辞めてもらうもの、といったルールがあります。しかし、当時の日本的経営では成績評価を厳しく行なうという風土になかったものですら、経営側のあいまいな姿勢にも責任があり、後者の手法はとれないと専門家から指摘されました。そのため前者を選択せざるを得なかったのですが、この場合だと優秀な人材も辞めさせることになり、このとき改めて経営としてすべきことの大きさを痛感した次第です。

これらの経験の中で持ち続けた価値観というのが一つあります。 有名な言葉で「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉です。例えば大きな大木と草があり、嵐が吹いたときに、これまで強いと思っていた大木が倒れ、逆に弱いと思っていた草がしっかりと残っているというようなことがあります。つまり人は見かけや言動だけでは不十分で、苦労や困難にあった時、初めてその人の志の強さがわかるということです。100人をリストラしたときは大変心苦しい思いでしたが、きちんと説得して辞めてもらったり、次の職場でもやっていけるよう履歴書作成の指導をしたりして、「強さ」というのは「厳しさ」と「優しさ」を含むことであるということも学びました。 あと、私の生き方としては「一所懸命」という言葉を大事にしています。これは自分が決めた一つの場所に命をかけるということです。江戸末期から明治維新の時代に生きた高杉晋作という人が残した歌で「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」というのがあります。つまりつまらない物事でもおもしろく思うか、つまらなく思うかは心の持ち方一つだということです。そこまで到達することができれば「一所懸命」になれるのではないでしょうか。心の持ち方一つで人生の渡り方も変わってくるのだと思います。 先ほどの「疾風に勁草を知る」と同様、「一所懸命」という言葉も私のモットーになっています。

 

Q4.JNTOの理事に着任してから学ばれたことを教えてください。

先ほどの経歴をたどると分かるのですが、JTBに勤めていた間はインバウンド(訪日旅行)に関する仕事をまったくしたことがありませんでした。職場生活の最終コースで、JNTOに着任して初めてインバウンドの仕事を経験することになったのです。

実はJTBもJNTOも、もともとは外国人を呼び込もうという組織で、100年以上も前にインバウンド振興の専門組織「喜賓会」としてスタートしました。現在日本はインバウンド後進国などといわれていますが、明治中期の日本はインバウンド先進国だったのです。ところが1964年に海外旅行が自由化され、高度経済成長を経て1971年になると、インバウンドとアウトバウンドが逆転してしまいました。それにより最初はインバウンド中心だったツーリズムの理念や業務がアウトバウンド中心へと変わっていってしまったのです。そういう意味で、私のキャリアの中で初めてJTBの原点であるインバウンドに携わることができたのです。新しいことに対する不安と期待の両方が入り混じった気持ちで、JNTOに勤めることになりました。

JNTOはもともと特殊法人という形で、40年間国土交通省の外郭団体として日本の観光宣伝をしてきたわけですが、やはり国土交通省の意向が強く反映されてきました。それが5年前独立行政法人に変わったのですが、そのときに「民間的手法を取り入れよう」という大きなテーマを掲げたのです。そのために新たに迎えた民間出身の理事長のもと,組織のビジョンとミッションの策定、業務改善活動を推進するマネジメント手法であるPDCA(Plan, Do, Check, Action)サイクルの導入、また、クロスファンクショナルなプロジェクトづくりなどを行いました。このように、この間様々なことに取り組んできましたが「体質」を変えることは非常に難しいことだと感じます。せっかく改革しても、少し経つとまた前に戻ってしまう。原点を忘れぬよう常に見直すルールや癖をつくることが大切ですね。こうして、理事長をはじめ多くの方と協力しながら現在のJNTOを築きあげてきました。

あと私自身の担当部門で言うなら、我々をサポートしてくれる事業パートナーの方たちへの満足度向上のため、アンケートをとりつつ様々な施策を実施したり、JNTOの国内向けPRや日本をより強くアピールしていくための海外へのWEBサイトの充実を図るなど、クライアント(お客様)の目線に立った様々な改革を心がけてきました。

(Part 2へ続く)

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