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富裕層インバウンドで挑む地方再生、高級体験型ホテルZenagiがツーリズムで描く田舎の未来とは|富裕層特集

2021.05.18

人口4000人あまりの長野県南木曽町に、2019年4月に誕生した宿「Zenagi(ゼナギ)」。欧米富裕層をメインターゲットとし、1人1泊12万円という高価格には、宿泊、食事、アクティビティ体験が全て含まれる、オールインクルーシブ宿だ。全3室のみの高級宿が、過疎の町に富裕層インバウンドをなぜ呼び込むのか。今後の地方への富裕層インバウンドの可能性、そしてZenagiが目指す将来像とは?運営する株式会社Zen Resorts代表の岡部統行氏に話を聞いた。

▲長野県木曽郡南木曽町の築300年の古民家を改修した宿、Zenagi(ドローンでの空撮)

 

ツーリズムによる地方再生の可能性を感じた「ドロミテマン」の成功例

「過疎化は進み農地は荒れ果て、自分の集落はこれで終わってしまうが、仕方がない」ここ10年で聞こえるようになった田舎の諦めの声に、ジャーナリストとしてTVドキュメンタリーや報道番組の制作を手掛け20年のキャリアを持つ岡部氏が問題意識を持ち、解決を志したのが事業の始まりだった。着想は、2013年に取材した世界最古かつ最も過酷とされるアドベンチャーレース「ドロミテマン」から得た。

「レース開催地のドロミテは人口1万人程の小さな町ながら、このレースをきっかけにヨーロッパ中の人が街の価値を見直し、今や年間100万人が訪れる世界的観光地となりました。観光が栄えると、道路、ホテル、レストランなどの環境整備や新たな産業が生まれ、ドロミテでは子供たちがアウトドアを始めるきっかけができたことで、文化・教育面での産業も生まれていた。その姿に感動して、こういったスイッチが一つ入れば、どこの地方でもツーリズムによる地方再生ができるのでは、と思いました」

ジャーナリストから経営者へ。自然を活かした観光による地方“再生”への挑戦が、こうして始まった。

 

富裕層獲得には、求められる田舎のラグジュアリー体験をまずは作る

事業スタートの地は日本らしい自然があり、ドロミテマンレースでの仕事仲間もいる長野に目を付け、1年で県内200箇所を視察。中山道と宿場町がインバウンドにヒットしていると聞き、初めて訪れた南木曽町の妻籠宿に心を打たれた。

「ジャーナリストとして全国各地を取材してきた私でさえ知らない、こんなにも日本らしい文化と自然を有する地方があったのか、と感動しました。南木曽は人口4000人の過疎の町ですが、この地の魅力ある地域資源でなら町を救えるし、救う価値があると強く思いました。1を100にはできても0を1にはできないので、妻籠宿という観光地があることも南木曽を選ぶ決め手となりました」

▲Zenagiを経営する(株)Zen Resorts代表、岡部統行氏。宿の正面にて。

田舎へ海外富裕層を呼び込むアイデアは、彼らの需要は都市型旅行ではなくより日本古来の暮らしに根差した体験ができる田舎にあると気付いてのことだった。地方に高い敬意と好奇心をもち、国内観光市場の閑散期にも長期滞在で大きなお金を落としてくれる、かつ、インバウンドをきっかけとした働き手の流入が地方の過疎化の歯止めの一手にもなり得る点で、富裕層インバウンドが田舎にもたらす恩恵は大きい。東京・京都の高級ホテルや海外富裕層向け代理店から、ハイエンドを地方に送客したいのに受け皿がない悩みも聞いていた。

「富裕層の旅の目的は、知的好奇心を満たすことにあります。旅を通してステップアップできたり、知らないことを理解し見識を深めたい欲求は、異文化の幅が大きい田舎での体験でこそ満たせるんです。けれど、田舎にはハイエンド向きの宿、食事、ガイド、コンテンツがない。だから、ニーズに応えた宿と高いクオリティーを担保したコンテンツを備えた、“The Expedition Hotel 体験型宿”を作りました。ジャーナリストの経験から断言できますが、良いコンテンツなくしてプロモーションで集客するのは不可能です。富裕層を呼び込みたいなら、コンテンツを作ってからPR先を探すのではなく、富裕層向けのメディアがお金を出してでも取り上げたいと思ってもらえるコンテンツを作るのが先手です」

▲宿のロビー。壁紙には銅を媒染した和紙が使われ、木曽の材を使った家具が並ぶ。

狙いは的中し、ターゲット層へのアプローチには困らなかった。代理店やハイクラスマガジンにZenagi誕生の案内を送ると、取り上げずにはいられない待望のコンテンツに視察や取材の依頼が殺到。広告を出したことは一度もないという。

また最近では、経済産業省の「JAPANブランド育成支援等事業」の交付金を受けて、1時間のプロモーション動画と中部地方の厳選したクラフト作家と作品を集めたPR資料を作り、欧州北米を中心に80の海外代理店にアプローチ。宿や体験に対する詳細なレーティングとフィードバックが寄せられ、約800の商談を獲得。予想を超える反響が寄せられているという。

 

富裕層の欲求を満たす、オールインクルーシブとストーリーテリング

富裕層インバウンドに支持される理由は、一体どこにあるのか。Zenagiの特長の1つは、宿泊料金に食事とアクティビティ体験の全てが含まれるオールインクルーシブであることだ。最近は宿泊や飲食施設を地域に点在させる分散型が主流のなか、オールインクルーシブにしたのは必然の結果だった。

「例えばアフリカのサファリに行って、食事は外で済ませる、なんてできませんよね。それと同じで、田舎で質をコントロールしてラグジュアリーを形にするには、まずはオールインクルーシブにするしかないと思いました。東京・京都よりも、木曽の方がお金を払ってでも行く価値があると実感して価値観を変えてもらうには、宿泊だけ、食事だけ、という切り売りではなく、やはりオールインクルーシブである必要がありました。もちろん、将来的には地域の皆さんと地域全体をラグジュアリーにしたいと思っています」

一方でオールインクルーシブの難しさは、日本人には馴染みがなく抵抗を感じる人がまだまだ多いところにあるという。逆に海外では浸透しているスタイルではあるが、アウトドアにおいても高いクオリティーのサービスや食事が求められる。田舎の自然条件でどれほど高品質なサービスを提供できるかが1つの課題だ。


▲木曽の自然を満喫しながらの、川沿いの竹林ビーチでのアウトドアランチ。

もう1つの特長は、バトラーと呼ばれるスタッフによるストーリーテリングだ。アクティビティ体験の説明は勿論のこと、建物の歴史、宿のコンセプト、家具に込められた想い、食材の生産者の愛情、シェフの意図、などの提供する全サービスを、顧客を楽しませるエンターテイメントとして伝えていく。

「海外富裕層は宿そのものにも知的好奇心を求めていて、建築、デザイン、サービス、食事、の全てから日本文化や宿のオーナーの意図を汲み取り、自国の文化と比較することで好奇心を満たしていくんです。いくら南木曽に伝統文化があり田舎の体験ができても、木曽に根付く暮らしや伝統に光を当てて魅力を伝える人がいなければ、心の底まで楽しませることはできません」

バトラーには相当のおもてなしの精神と知識が求められる。富裕層の深い知的好奇心に応えられるスタッフの雇用と育成にも、力を抜けない。

 

地域の理解を得る鍵は、時間をかけて人と向き合うこと

「地方再生は簡単ではない」実際に取り組んでみると想像を超えたハードルがあり、苦労とは呼ばずともなにせ時間がかかる。事実、Zenagi開業にあたり地域の理解を得ることにも相当の時間を費やした。

「新しいものを生み出すためによそ者を受け入れる、というのは日本全国どこもが抱える難題で、自然を使うとなると尚更です。例えば林道には猟師、川には漁協との関りがあって、現に木曽川の漁協の皆さんからは、釣り人が使う川を勝手にアクティビティに利用するなと大目玉を食らいました。考えてみたら当然のことなのですが、私自身そこまで考えが至ってなかったのです。私はそれを真摯に反省して、漁協の皆さんの話を聞き続け、時間をかけて向き合いました。最後は私という人間を理解してもらい、漁協のトップに川の使用許可を得たのは3カ月後のことです」

▲人気アウトドアアクティビティ、木曽川でのシャワークライミング

地域住民に向けても何度も説明会を開き、宿のお披露目会には町の人口の10%に及ぶ400人程が訪れた。

「宿は15年間使われていなかった古民家で、オーナーの大宮さんにはこんな田舎に人なんて来ないし辞めた方がいいとまで言われましたが、覚悟と熱意を伝えて譲って頂きました。当時大宮さんは飯田に住んでいたんですが、お披露目会でリフォームされた宿の姿に感動し、死ぬまで見届けたいと宿のすぐ側に移り住んできてくれました。時間をかけて本気度を伝えることで、地域の人たちの理解と応援を得られていると実感しています」

地域とのハレーションを懸念しているのは、行政も一緒だ。ただ、一時的に地域の反発を受けたとしても、理解を投げかけながら町の未来に向けたアクションを行政から起こしてほしいと、いう願いもある。一企業が近未来に解決できるほど、地方再生は単純ではない。

 

100年後の日本作りには、富裕層インバウンドが必要不可欠

顧客の7割が外国人だったZenagiは、新型コロナウィルスにより大打撃を受けた。それでも価格を下げて国内の顧客を呼び入れたり、オールインクルーシブを解体することはせず、会社の方針は変えなかった。

「我々が目指しているのは100年後の日本を作ることで、長期的視点でその目標を達成するには、富裕層インバウンドしかない。1つの成功モデルとして地方再生を牽引していくためにも、向こう数年の利益だけを求めて方針転換しないと決めました。10年後、20年後という近い未来に実現したい町を描くと、自分たちの利益になるものに手を伸ばしがちですが、目先の未来から一歩離れ、100年後にこの地域、自分たちの子孫や土地にどういう姿になっていてほしいかを考えることで、初めて正しいことができると思っています」

▲禅をモチーフにした庭園が、いつでも宿泊者の心をゆったりと癒してくれる。

コロナ禍を乗り切る秘策はないというが、アクティビティ体験の磨き上げ、バトラースタッフの育成、ホームページをリニューアルして国内富裕層の需要開拓など、様々な試みを実践している。また、新規事業としてメディアコマースでの情報発信と地域の作家作品のオンライン販売や、中部地方の新ゴールデンルート作りの準備も進めている。実際に、海外の観光コンソーシアムがコロナ下で収集したマーケティングデータにおいても、海外代理店のマーケット予測でも、ポストコロナ時代には日本の田舎に強い需要が見出されているという。Zenagiのゴールへの到達度はまだ1%にも達していないというが、100年後の南木曽再生を描き、挑戦は続く。

Zenagi開業から丸2年。南木曽町は最近、遂に人口が4000人を割り込んだ。日本の全ての地方は救えないが、少なくとも世界に誇れる地域はどうにかして残したい。世界的ニーズに加えて100年後の日本の田舎の理想の在り方を考えても、これからの地方観光のテーマは富裕層×インバウンドが主流になると期待したい。

(取材/執筆:今野杏莉)