インバウンド特集レポート

なぜ中山道の宿場町を訪れる欧米インバウンド客が増えたのか、世界的トレンド「歩く旅」の魅力を探る(前編)

2020.03.23

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新型コロナウイルス被災で今年の日本のインバウンドは大きく停滞しそうだ。だが、こんなときこそ、日々の瑣末な問題をひとまず置いてインバウンドの本質を見直すべきではないか。いま世界的なトレンドといえる「歩く旅」の現場から考えてみたい。
(執筆:中村正人)

 

3月上旬の早朝、岐阜県中津川市にある中山道の旧宿場町、馬籠(まごめ)の石畳の通りには、新型コロナウイルスの影響で、人の姿は見られなかった。それでも、隣の宿である長野県南木曽町の妻籠(つまご)を目指して馬籠峠を越える木曽杉のトレイルを歩き出すと、何人もの街道ウォーカーとすれ違った。

そのうちひとりの中年男性を除くと、すべて西洋人だった。

▲中山道の妻籠宿から馬籠宿を目指して歩くオランダ人夫婦

約9㎞、所要約3時間の街道ウォークで出会ったのは、カナダ、イギリス、フランス(ただし、香港在住)、オランダ、オーストラリアなどの人たちだ。比較的年配のカップルが多く、のんびり自分たちのペースで木曽路の自然を満喫しているようだった。

 

馬籠峠越え、3人に2人は外国人

江戸時代の五街道のひとつ、中山道を歩く西洋人ウォーカーが増えている。2019年度(19年4月~3月)は2月までの11カ月間で前年を超える3万7000人の外国人が馬籠峠越えをした。国内客も含めると5万5300人なので、3人に2人は外国人になる。

▲中山道の馬籠峠を越えるハイカー調査(上:総通行者数、下:外国人)「妻籠を愛する会」調べ

馬籠峠を歩く外国人の姿が見られるようになったのは、2000年頃からだという。2009年には5000人を超えたが、2016年には2万人を超え、ついに日本人を上回った。

なぜこれほど多くの外国人、それも西洋人が中山道を訪れるようになったのか。

▲DVD「ジョアンナ・ラムレイが見た日本」(丸善出版)

ひとつのヒントとなる映像がある。

2016年に放映されたBBCの旅番組「ジョアンナ・ラムレイが見た日本」で、英国の人気女優ジョアンナ・ラムレイさんが日本を訪ねるドキュメンタリー紀行だ。彼女は北海道から沖縄まで全国各地に足を運んだが、そのひとつが妻籠からの馬籠峠越えだった。

中山道のシーンが流れる約10分間の映像は、彼女が木曽路の古地図を見るところから始まる。

何度も映像にはさまれる江戸時代の街道の風景や参勤交代の絵図、幕末に徳川家に嫁ぐため江戸に向かった皇女和宮の写真などを通して、歴史ある街道「サムライトレイル」であることが彼女と視聴者の頭にインプットされる。

▲中山道を撮影のため訪ねたBBCのスタッフとジョアンナ・ラムレイさん

そして、彼女は梅の花咲く街道を歩き出す。渓流沿いのトレイルを抜け、古い祠を訪ね、江戸時代の風情とともに人の暮らしが感じられる家並みの前でたたずむ。さらに杉並木を歩くと、古いあずまやに出合う。現在、街道ウォーカーのための休憩所となっている一石栃立場茶屋だ。囲炉裏端に腰掛ける彼女を出迎えた老人は、木曽節を歌って聴かせる。まるで絵に描いたような演出だが、この茶屋は実在している(筆者も彼女と同じようにお茶でもてなされた)。

▲左:馬籠峠から妻籠に向かう杉並木の自然道 右:妻籠と馬籠の中間地点にある空き家を休憩用の茶屋にした一石栃立場茶屋

 

「観光地化されていない」道が選ばれた理由

西洋人による近年の馬籠峠越えブームをつくったといわれるこの番組にも出演している公益財団法人「妻籠を愛する会」の藤原義則理事長は、彼らがこの地を訪れるようになった理由のうち、ふたつのポイントを強調する。

同会の調査レポート「欧米人はなぜ馬籠峠をテクテクで超えるか」(2019年9月)によると、同年6~8月に妻籠宿を訪れた外国人(127人 複数回答可)に来訪動機についてアンケートしたところ、1位「伝統的な町並みを楽しむ(115人、91%)」、2位「観光地化されていない町並みを楽しむ(108人、85%)」だったのだ。

「伝統的」という理由はわかるとして「観光地化されていない」町並みが彼らを惹きつけたというのはどういうことだろう。

BBCの映像をみると、その理由もうなずける。彼女が歩いた妻籠から馬籠までの道中で、英国の制作者が編集の過程で選んでいるのは、馬籠峠から妻後方面の街道だけだった。

おそらく理由として考えられるのは、彼らにとって魅力的に映ったのは、妻籠側の街道で、そこは馬籠側のような整備された石畳の道ではなく、自然のままの姿が残るトレイルだったということだ。「妻籠を愛する会」の調査レポートが物語るとおり、「観光地化されていない」道が好まれたのである。

 

50年前の先見の明が実を結ぶ

ではなぜ同じ街道でこのような明暗が分かれたのだろうか。その点について「昭和以降の木曽路の観光開発と集落保存の歴史が関係する」と藤原理事長は話す。

馬籠は文豪島崎藤村の生家があることで、昭和40年代後半(1970年頃)から若い女性のひとり旅のはしりだった「アンノン族 *」が訪れ、にぎわった。その後、日本はバブル経済に向かい、馬籠は、多くの地方都市がそうであったように、時代の波に乗って観光開発を行った。一方、妻籠は時代とは一線を画し、集落保存こそ大事だと考えたという。

*アンノン族…1970年代半ばから80年代にかけてファッション誌やガイドブックを片手にひとり旅や少人数で旅行する若い女性(「anan」と「non-no」の頭文字から命名)

▲1960年代後半から今日に至る妻籠宿の来訪者統計

今日、なぜ妻籠に海外から多くの街道ウォーカーが訪れ、2016年以降は日本人より外国人が多くなったのか。その背景には、50年以上前に始まった集落保存の取り組みがあった。

先導したのは、御年91歳の小林俊彦さんという町役場の元職員だった。「当時、妻籠はすでに限界集落となっていた。高度経済成長期を迎え、全国各地でゴルフ場開発や大型旅館の建設が進められたが、小林さんは当時から『古いものを残しておくと、いずれ文化財になる。江戸時代から残る宿場町の集落保存をすることが観光化につながる。でも、博物館のようではいけない。生きたままの状態で残すべき』と話していた」と藤原理事長は語る。

▲50年以上かけて集落保存に尽力した妻籠宿

そのためのさまざまな取り組みが行われたが、特筆すべきは、住民の理解と協力が必要と考えて始めた「妻籠冬期大学講座」という住民主体の勉強会である。昭和52(1977)年に始まっている。「妻籠宿保存50周年記念事業」記念誌(2018)の中の「妻籠冬期大学講座のあゆみ」と題されたリストをみると、全国の大学やメディアから識者を呼び、どれだけ多様なテーマの講義が行われたかわかる。

小林さんは、1970年代の日本列島改造論の時代から「集落保存をしていれば、いずれ青い目の人たちがやって来る」と話していたという。西洋人による街道ウォークのブームが起きたのも、小林さんの先見の明があったからなのである。

ここから我々は教訓として何を学べるだろうか。インバウンドの取り組みは、地域の生き残りのためにあること。そのときどきの時代のムードに流されるのではなく、物事の本質を見極める姿勢を忘れてはいけないことではないか。

ここでいう本質をインバウンドの現場に置き換えていえば、「人はなぜ旅をするのか」という問いかけに応えることだと思う。

そして、もうひとつ確認しておきたいのは「歩く旅」が世界的なトレンドになっていることだ。これも中山道に多くの外国人が訪れる理由といえるだろう。 

そこで次回は「歩く旅」の世界的な聖地、スペインのサンティアゴ巡礼について考えてみたい。

(次回へ続く)

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